1.

大学一の脳筋バカとして名を馳せている炎舞マジメが奇天烈にして阿呆なとある提案を受けたのは梅雨も明けきった七月冒頭のことである。その日も変わらず炎舞は炎のように赤く染まった髪(本人曰く地毛)を、天をつくかのようにワックスで固め上げていた。こんもりと盛り上がったその髪型が「炎上名古屋城」という名古屋嬢の髪型も暗喩したウィットに富んだ渾名で呼ばれていることを本人はまだ知らない。
「で、その『レポートダッシュ』を復活させる手伝いをすればいいんだよな? 清水」
炎舞がそう言って話しかける相手は清水流暢。カマキリのように細い体に逆三角形の小さな顔。二本指で折れそうな細いフレームのメガネの内側から覗く双眸は鋭く尖っており、口角の上がりが余裕な雰囲気を醸し出している。
「そうだねマジメくん。廃れてしまった『レポートダッシュ』をこの前期期末レポート統一提出日に復活させる。それ即ちキミが文化復興をすること。キミが〈ルネサンス〉をするんだ、マジメくんっ!」
「ルネサンスは聞いたことあるけど何のことかわっかんねえや。まあとにかくそれやったら俺も大学で有名人になれるんだな?」
「そうだね。法学部で成績上位五名しか獲得できない超上位返済不要奨学金特待生の枠を取っているボクのサポートがあれば必ず成功し、キミの名が学園中に轟くことは間違いないよ」
「おう! 任せとけ!」
ガシッと交わした握手は嵐山の向こうに沈みつつある太陽よりも熱がこもっていた。


翌晩、清水が作ってくれたレポートダッシュについてまとめられたノートを炎舞は読んでいた。以下ノート内容。


滅命館大学レポートダッシュの起源は、わだつみ像が破壊された一九六九年まで続いた大学紛争の最中に生まれたといわれている。当時滅命館大学全共闘のリーダーだった三条五浪丸は大学を非難しながらも、単位への不安から逃れきれることができず眠れない夜が続いていた。しかしそこで五浪丸は気づく。期末テストは皆でストライキをすると決めているので単位を諦めるほかないが、レポート課題ならば仲間の目を盗んで提出し単位を貰えるのではないのか。覚悟を決めた五浪丸は雪のちらつく後期レポート統一提出日、火炎瓶が飛び交い窓ガラスが砕け散る大規模なデモの中、共闘の仲間が目を離した一瞬の隙に五浪丸は教授棟へ駆け込みおよそ十人の教授にレポート課題を出して回ったそうだ。その時間僅か五分十秒。仲間もトイレに行っていたと言われ疑わなかったその神業的速さが全共闘の鎮静化ののちに次第に教授たちの口から明らかにされ、滅命館大学の学生たちは、結局単位が足りず中退した今は無きその先輩に憧憬を絶やさなかった。そして次第にレポートを締め切りギリギリにダッシュして提出するという時代に寄り添った伝統が生まれた。レポートダッシュと呼ばれるようになったそのパフォーマンスにも近しい行為はやがて全国に知れ渡るようになり、真似ぶ他の大学生も現れ始めた。レポートの提出場所が体育館に統合されるとレポートダッシュ観戦がしやすくなったとして隆盛をより極め、さらに時が経ち、レポート提出者が時代の首相や有名人、マスコットキャラクターに仮装したり、将棋サークルの面々が荷台の上で対局しながら提出しに向かったりとエンタメ性を一層帯びてきた。しかし七年前、文学部の教授全員に仮装した集団が教務課から停学を言い渡された時から事態は変わる。レポート提出場所は体育館から変更され各学部棟の事務室になった。それが四年も続けばレポートダッシュの光景を直接見た生徒は院生・留年生を除いて卒業し、伝統は放っておいても衰退していった。そして二年前から提出場所を体育館に戻しても、体育館まで伸びる一本の道を駆ける者はいなくなり道脇に草が生えるほどに人足は止んだ。これが今に至るレポートダッシュの歴史である。


炎舞は最初の五行目に辿り着く前に退屈に飲み込まれ寝ていた。


2.

「おはようマジメくん。一週間ぶりだね。ボクが大学資料館に行ってまで書いたノートは読んでくれたかい?」
「ふああぁあ。ん、オッス清水。レポートダッシュの歴史のあれか? 読んだぜ。わだつみ像が仮装して教授の部屋に駆け込んで全共闘が起きたんだろ?」
「…………ボクのまとめ方が悪かったようだね。改善するよ」
しかしこれでも炎舞はあれから眠りかぶりながらも一応は最後まで読んだのだ。内容を全く理解できていないが、その努力だけは読者諸君も認めてあげて欲しい。
非を肩代わりした清水はメガネを整え直すと一枚のA4の紙を取り出し炎舞に渡した。
「キミがレポートダッシュの歴史を理解したという体で話を進めたとして、これが第二フェーズだ」
「フェーズってなんだ」
「計画の第二段階だ」
炎舞の無知に足を引っ張られながらも清水は負けずに根気強く続ける。
「ここにレポート提出日の大まかな流れ、レポートダッシュの道順、その他細かなことを記載しておいた。これを参考に行動してほしい」
「おう。サンキューな」
「お安い御用だね」
「しかし清水。どうして俺なんかに頼んでまでレポートダッシュを復活させたいんだ?」
「……まあ、そうだね。うん…………あ。そ、そうっ! キミに見てもらいたいんだ」
「何をだ?」
「レポートダッシュのときの景色だよ! 響く歓声。鳴り止まない拍手。羨望の眼差し。その全部をみんなに体感してもらいたい。そしてその第一人者にキミを選んだ!」
普段クールで有名な清水が唾を飛ばしながら熱く語る。炎舞はその唾と清水の熱量に気を取られ、清水の焦った表情まで気が回らなかった。というか、単純な炎舞は清水の言葉を咀嚼もせず丸ごと飲み込んでいた。
「そうだったのか! お前いい奴だな!」
「そんな。褒められるほどのことはないよ」
「いやー普通自分のことを優先するって! お前からもらったこのチャンス、絶対モノにしてみせるからな」
「ああ。期待している。見たことのない景色、見てきてよ」そう言って固い握手を交わす二人。この二人にはもはや言葉など要らなかった。そういう雰囲気だけは出ていた。


「いやー意外と難しいな裁縫も」
そう呟くのはレポートダッシュを翌日に控えた炎舞マジメ。夜が更け、最近構っていないバイク仲間たちによる西大路夜の爆音ライドの音が聞こえなくなった今でもまだ起きてレポートダッシュに向けて準備をしていた。暗く狭い下宿の部屋、中古屋で買った小さく古びたランプを灯し畳の上で作業に勤しむ姿は昭和の一幕のようにさえ見える。
「しかし充実しているなあ。これが噂の『りあじゅう』ってやつか」
外見からすれば炎舞もリア充パリピウェイソイヤとして名が通っているのだが、如何せん本人の耳までその噂が届いたことはない。
話を戻して。炎舞はあれから清水とレポートダッシュに関するリマインドを重ね、コンセンサスを取ってきた。なおこの物言いはし清水のものである。就活を控えた彼にはこの有り余る語彙とヴィジョンがエミットしていた。
とにかく炎舞は清水から

①提出するためのレポートを用意すること
②皆が目を引きつけ、次回から参加したくなるような魅力に溢れた仮装衣装を用意すること


この二つを要求されていた。
もう衣装は小物を服に取り付ける作業を残すのみであった。意外と手先の器用な炎舞が将来服飾関係の仕事に就くのはまた捌のお話である。
「よしっともう少し! ……あれ」レースを繕った所で炎舞の手が止まる。
「……これって…………まさか」
電灯の明かりがもうすぐ消えるロウソクのようにチカついた。


3.

レポート統一提出日当日。体育館へ続く明友館と国彩館の間の道、その両端にはたくさんの人がごった返していた。別にレポート提出者というわけではない。これは、「レポート提出で誰かがなんかヤバいことするらしいぞ!」といったような噂を拡散させた清水の根回しの賜物である。
ネット上や口コミを通じて集まった祭り好きの野次馬もとい観衆は「何が起こるんだ」「爆発」「洒落じゃないからやめとけ」「楽しみー」「snow撮ろっ」「いいよっ」「てかお前今テストの時間じゃね?」「やべえしくった!」などと差異あれど徐々にその熱気を膨らましていた。
所変わって清人館。体育館へ続く一本道の延長上にある、主に文学部生が住処とする会館である。
その一階の男子トイレの個室に二人の男がむわっとした暑さに身をやつしながら準備していた。諸君御存じ炎舞と清水である。二人は最後の打ち合わせをしていた。いかがわしいことは全くない。
「道筋や走る速度は大丈夫だね? スマホで録画されるだろうから、大体十五秒くらいで録られるのがベストだ」
「……おう」
「衣装を見せつけることも重要だが、一番大切なのはレポートをギリギリに提出しているんだという臨場感を引き出すこと。できればレポートを片手で掲げ上げて走るのが望ましいね」
「……おう」
「元気がないねマジメくん。大丈夫かい。もしやキミのことだから朝から鈴屋のキングサイズ牛丼スペシャルを食べてきたのかい」
「ちげーよ」
無駄にニヒルに笑いながら炎舞は答えた。
「なあ清水。お前隠していることあるだろ」
「な、なんだって」
「隠さなくてもいいぜ。俺ぁわかっちまったからな。このレポートダッシュの秘密。そしてお前の野望がな!」
ビシィ! と狭い個室で炎舞が指を突きつけたせいで清水は四隅へ追いやられる。
「や、野望? い、一体何のことだいマジメくん」
「とぼけたくなるのも当然だよなあ。だってレポートダッシュが復活すれば、みんな単位を落とすもんな」
「‼」
「ふっ、予想通りか」
冷や汗が止まらない清水と相反して炎舞はクールだった。
「レポートダッシュ、これの醍醐味は何と言っても仮装だ。ふざけた格好でみんなを笑わせる。レポート提出がギリギリというのも観衆の優越感を突いて実にいい」
いつもの炎舞はどこへいったと言わんばかりである。
「しかーしっ! 衣装! そこに穴があった! つまりはお前の野望だあ!」
ビシィ! と左手の人差し指も清水に向け突きつける炎舞。傍から見るとゲッツ! だった。
「衣装作りの構想、資材集め、裁縫。これが意外とめちゃめちゃ時間がかかる! 時間がかかるとどうなるか知っているか」
たっぷり時間をとったあと、炎舞は叫んだ。
「そう! レポートを書く時間が無くなる! それこそ清水、お前の真の目的なんだ! 今日の俺の姿を見てレポートダッシュしてみようかなと思った連中が単位を落とすのを望んでいるんだろっ!」
ビシィ! と突き出す手がもうないので炎舞はワックスで固めた山盛りの頭で清水を指(頭)差す。数本の毛が清水の口の中に入ったが清水はそれどころではなかった。
「……くっ、確かにその通りだよ」
清水がポツリと言った。
「認めるんだな?」
「ああ、そうさ。ボクはボク以外の生徒に単位を取って欲しくないんだ。超上位返済不要奨学金特待生になれるのは一握り。だから。だから…………」
清水は俯く。全てを見破った炎舞によって脳天に一撃喰らうことを覚悟した。
しかし、清水の頭に降り注いだのは、優しく撫でる炎舞の手のひらだった。
「…………マジメくん……?」
「なあに清水。俺はなあ、別にお前が何を企もうが人を貶めようがどうだっていいんだ。俺に面白そうなことを教えてくれた。期待してくれた。それだけで俺は楽しいしこれから楽しんでくるぜ。お前の今の浮かない顔が晴れ渡るくらいに。いや、俺のレポートダッシュを観た奴らがみんな喜ばせるくらいにな!」
快活に笑うと炎舞は着ていたクソダサいTシャツを脱ぎ、衣装に手を伸ばした。


「あっ! 来たぞ!」
誰かが声を上げる。騒いでいた観衆一同が振り向くと、清人館の出入り口、炎天下の陽炎の向こうに、人影が立っていた。揺らめく姿はやがて近づき、そして徐々に駆け足になり、やがて風を切り走り始めた。

ふわりと舞うは純白のウェディング。
カンカンを紐付け腰に巻き付け。
右手に花束左手にレポートの様は自由の女神。
上半身は全くぶれることなく足だけはドカドカと大地を踏み蹴り。
花束はプリントアウトした参考資料の紙束で。
トゲトゲの赤髪は何本かマリアヴェールを突き破り。
はみ出した口紅は河原町opaで買ったものである。
化粧は構内のオシロイバナの種を無断採取して繕った。
流れるドレスの軌跡は鴨川のように滑らかで。
鼻腔をくすぐる香水はシーブリーズのピーチの香り。

その全貌が明らかになったとき、観衆の歓声が夏空に木霊した。フラッシュの滝。炎舞の汗が飛沫となって宙に煌めく。輝く観衆の笑顔。笑いすぎて転げ回る者も現れ、弩歓声は夏の空気を響き揺らす。
今この瞬間、間違いなく炎舞マジメは、世界で一番、人々の心を輝かせていた。


「キミはすごいなあ」
明友館校舎の陰から見つめるのは清水だった。誰に聞こえるでもなく清水は呟く。
「キミの言う通り、ボクは他の人に単位を取って欲しくなかったからこんなことをキミに提案したんだ。ボクはね、実はめちゃくちゃ頭が悪いんだ。頭が悪すぎてカンニングと答案用紙のすり替えの技術だけが上がってここまできたんだ。実は掛け算と割り算でさえ危ういんだ。今までは何とかやって来れたけど、確証が欲しかったんだ。超上位返済不要奨学金特待生で居続けるための確証を。権利を。でも」
メガネを取り外し、眼尻を軽く拭う清水。
「でもキミは全てを越えてきた……。マジメくん、キミは今、最高の景色の中にいるんだね。キミが、走者で、そして勝者だ……っ」


汗だくのまま体育館内を突っ走り風のように駆け抜け受付のおばちゃんの奇異と驚愕の表情に拘わらず炎舞は、汗に濡れ握りしめてシワクチャになったレポートをビシィ! と差し出して叫んだ。
「未完成ですけど単位くださいっ!」



完。
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